「ものの考え方」
前回、初詣に行ったことと「小っさいオッサン」を目撃したことを記事にしました。
その時にコメントしてもらった言葉を見て、つい興味をひかれたものですから今これを書いています。
一つは、TO-KOさんの「伊勢神宮はなんの神様たっけ?」という言葉です。
最初ちょっとしたショックを受けて、その後「そりゃそうだ」感で一杯になりました。
今の私にとって天照大神は、かなり大きな存在なのです。
毎朝愛犬のゴン太と散歩している時も、朝日に向かって「アマテラスオオミカミ」と11回唱えます。
そして自分を許してくれるように、自分を助けてくれるようにお願いするのです。
私のことを知っているばらさんやシャッフルさんがこれを読んだら「らしくねぇー」と苦笑するでしょうが。
毎月の参拝にしても若い頃には10円・100円だったお賽銭が千円になりましたし。
伊勢神宮(内宮)だけではなくて、必ず豊受大神が祭られている外宮にもお参りします。
内宮も本宮だけではなく、別宮の荒祭宮にも参拝し、ときには月読宮(天照の弟)に行くのです。
いざ手を合わせる時なんですが、目の前は白い布で覆われています。
そして、時折それが風にあおられて中の様子が見えるんです。
自分の順番になった時その白幕が上がると願いが叶う、という人もいるぐらい見事に不定期にです。
実際に私の順番で幕が上がったのは一昨年の5月。
その直後に宝くじが当たりました。
しかし残念ながら、参宮を再開したこの11月・12月・1月は、一度も上がってくれません。
すべて私の前の人か後ろの人だったのです。
そのことで少なからず落ち込んでいた私に、TO-KOさんの「何の神様だっけ?」は強烈でした。
私の心中は、あえて細かく語らないでおこうと思います。
このブログを訪問してくれている人たちなら、この一言で理解してくれると思うからです。
「そりゃそうだ」
そしてもう一つは、目撃したプチ不思議を「厄病神」だと言った私に対するのんのんさんのコメントです。
「いいことがあると信じてください」
私を気遣って書いてくれたのでしょうが、これこそが人それぞれの「ものの考え方」だと思うのです。
同じ現象を目の当たりにした時でも、人によって捉え方は十人十色。
ひとつのことを良く解釈する人もいれば悪く捉える人もいて、全く正反対の場合がありますよね。
現実は一つなのだから、どうせならいいように考えるべきだということは百も承知なのですが。
ただ、心の底からそう思わないと、意味がないような気がします。
ちなみに私はマイナス思考なので、なかなかそれが出来ないんですよ。
私の友人に一人だけ、自分に関わることはいいようにしか解釈しない男がいます。
彼はかなりの「天然」なのですが、やっぱり毎日が幸せみたいです。
霊能者の深見東州氏がこんなことを書いていました。
「そういう人間にこそ、神様がつくのだ」と。